診療報酬は2年ごとに改定になりますが、診療報酬とは、⼤まかに⾔えば医療費を国に求めるシステムのことで、薬に対するものと診療技術料に関するものの2つに分かれます。今回の改定では、前者を⼤幅に削り、後者を微増させるというものでした。先⽇のNHK報道で、まるでこれが医者の給与が上がるかのように報道されていて、キャスターの無知ぶりに唖然とさせられました。技術料とはいえ、おそらくごくわずかな部分への⼿当があがるだけで、初診料や再診料が上がるわけではないのです。精神科では、その他の科に⽐較して多めの診察料が設定されているのですが、皆さんもご存じの通りで、診察には実に⻑い時間を要します。ばかばかしいことに、5分の診察と30分以上の診察でわずか700円の違いしかないのです。皆さんは1-3割負担ですから70-210円の違いになります。このようなわずかな料⾦で我々精神科医は診察を強いられているわけで、当然ながら短時間、低コストの医療がまかり通ることになります。また、これらの診察料は、経験を積んだ精神科医であっても⼤学出たての研修医であっても全く同じです。⼀⾒、国⺠に安価な医療が平等に与えられているように⾒えますが、内実は安かろう悪かろうがまかり通るのです。当院では、患者さんのニーズに応じてできるだけの⼿当をしているつもりですが、患者さんも⼤きな問題がないときはできるだけ時間を短くしたり、要点をまとめてくるなどの努⼒をしていただき、お互いに譲り合い精神を発揮していただければと思います。私は、1⽇に40⼈近くの⽅の診察をしています。⼀⽇の終わりには、頭は⾖腐状態、もう誰とも話したくなくなりますね。これは外国ではありえないことです。どんなに多くても7-8⼈を1⽇でしっかり診て、精神科医の⽣活が⼗分成り⽴つのがスタンダードなのです。⽇本の精神科医は疲弊していますし、また熟練した医師であっても患者さんへ与えられる医療の質も全く低くならざるを得ないのが現状で、今後さらに改善が求められます。
投稿者: adwickanaoka
スマホと睡眠
どう考えてもスマホは⼈類最悪の発明でしょうね(と私は思います)。開発する前にどうしてもう少し考えられなかったのかなあ。⼈間は、目先の利益に⾶びつくばかり、愚かで浅知恵しか働かない動物(それ以下︖)ですなあ。
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「寝室でのスマフォ」に警笛【⽶国⼩児科学会】
寝室でのスマフォ利⽤は⼦どもの睡眠に有害
⽶国学会短信2015年1⽉22⽇ (⽊)配信⼀般内科疾患⼩児科疾患精神科疾患⽶国⼩児科学会(AAP)は1⽉5⽇、⾃室にスマートフォンなどの「⼩さな画⾯」があるケースでは、就寝時間が遅く睡眠時間も短いとする研究を紹介した。Pediatrics誌2015年2⽉号(1⽉5⽇オンライン版公開)に掲載。
本調査では、4-7年⽣2048⼈を対象に、就寝時刻、起床時刻、眠気と寝室にテレビやスマートフォンなどの⼩さな画⾯があるかどうかについて調査した。その結果、寝るとき近くにスマートフォンなどを置いていたり、寝室にテレビがある⼦どもは平⽇の睡眠時間が短く、スマートフォンなどの近くで寝る⼦どもの⽅が睡眠不⾜の訴えが多かった。また、TVやDVDの視聴やゲームも平⽇の睡眠不⾜や眠気に関連。睡眠環境に「画⾯」がある⼦どもは、その画⾯を⾒ている時間が⻑く、就寝時間が遅いことも分かった。
この結果について研究者は、「⼦どもが寝室で『画⾯による』メディアに⾃由にアクセスできる環境に警鐘を鳴らすもの」と結論付けている。
武士道
「武⼠道」という書物、ご存じのとおり今から100年以上前に新渡⼾稲造によって書き上げられた本ですね。「武⼠道」では、⽂字どおり、武⼠が重視した伝統的な価値観や⾏動規範が述べられていますが、その普遍性には⼤いなるものがあり、今なお時代や国境を越えて読み継がれています。武⼠道には、それを記した特別な書物は存在しませんでした。元来は⽇本の風⼟の中で⾃然に発⽣してきた、不⽂律の「掟」であったのです。新渡⼾によってはじめて体系的にまとめられ世に知られるようになりました。新渡⼾は「武⼠道」のなかで、武⼠が重んじた価値として7つの徳目を説いていますが、最も代表的なものが、「義」「勇」「礼」の3つです。
「義」とは、「⼈として必ず守らなければならない道」のことです。徳目の中でも武⼠によってもっとも重んじられたものです。ここで重要なのは、道を守り正義を追求することは時として理屈に合わない状況を⽣むこともある、ということです。義をなすことは、「不合理の精神」を⽣む可能性を秘めているのです。 しかし、それでもなお、義を重んじることは、⻑期的に⾒ればその⼈の徳を⾼め、他⼈から信頼され、それを通して社会に貢献することにつながるのです。
「勇」。恐れることなく敵陣に切り込むことが、武⼠には求められていたような印象が先⾏しますが、これは間違ったとらえ⽅です。勇とは、「義を⾒てせざるは勇なきなり」という⾔葉があるように、ただ単に豪胆な⾏動をとることではなく、「義」に裏打ちされた⾏動でなければならないのです。向こう⾒ずな挑戦や後先考えない⾏動は逆に軽蔑されていました。また、勇とは、どんな困難な状況に陥っても動じない平常⼼を持てることも意味していました。
「礼」というと「礼儀」、「マナー」など、儀式的、作法的なことを連想しがちですよね。もちろんそれも⼤切ですが、「礼」とは「相⼿の価値は世界中の何物にも勝る」という考え⽅に基づき、「他者の喜びや悲しみを⾃分のことのように感じる能⼒でもある」と述べられています。
義、勇、礼。この三つを頭において実⾏を⼼がけるだけで、⼈の⽣き⽅はずいぶん変わってくると思いませんか。⼈と争ったり傷つけ合うこともことなく、「武⼠道」の格⾔、「最善の勝利は⾎を流さずに得た勝利である」を目指して⼰を律してゆく⼀年にしたいものですね。
なんとも
恐ろしい話じゃないですか︕
テレビゲームは⼦どもの脳の発達に悪影響を与えると、東北⼤加齢医学研究所の研究グループが発表した。調査した⽵内光准教授(神経科学)は「ゲームに興じる時間と脳の発達の遅れは⽐例する」と警告する。
グループは宮城県在住の5〜18歳283⼈を対象に、脳画像解析と知能検査を実施した。
磁気共鳴画像装置(MRI)で脳を調べると、テレビゲームで⻑時間遊ぶ⼦どもは、物事を認知したり記憶したりする領域の発達が遅れていた。
快楽を感じたときに出る神経伝達物質「ドーパミン」の過剰放出により、意欲をつかさどる領域にも悪影響があった。これは覚せい剤常⽤者と同じ特徴だという。
また、テレビゲームで遊ぶ時間が⻑ければ⻑い⼦どもほど⾔語能⼒が低く、類似する⾔葉を⾒つけたり、読み上げられた算数の⽂章題に暗算で答えたりする検査の成績が劣っていた。
3年後に再び調査すると、テレビゲームが習慣化している⼦どもは脳の発達がさらに遅れていた。
⽜乳危険論
以前から議論がありますが、どうなんでしょうかねえ。私は、コーヒーに少し垂らすくらいしか使わなくなりましたが。医師の間でも⾒解は分かれているよです。ちなみに欧⽶ではかなり消費量が減っているようです
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⽜乳の摂取が体に良くないとする「⽜乳悪⽟論」が、しばしばマスコミなどに取り上げられている。2015年は、⺟親タレントが「⽜乳は有害だから⼦供に飲ませていない」とテレビで発⾔したことが、ちょっとした話題になった。⽜乳は本当にリスキーなのか、健康状態が良い⼈であっても摂取に慎重になるべき⾷品なのだろうか。
摂取慎重派
⽜乳の「負の⾯」を指摘する議論は、以前から繰り返されている。その根拠は、乳癌との関連や摂取によってかえって骨が弱くなるというものなど様々。研究論⽂からインターネット上の匿名情報まで簡単に目にすることができる。
⽐較的最近では、スウェーデンで約6万⼈の⼥性と約4万5000⼈の男性を対象にしたコホート試験の検証で、1⽇3杯以上の⽜乳摂取と死亡や骨折リスク上昇との関連が⽰唆された(『死亡と骨折リスク、⽜乳3杯摂取で増』を参照)。こうした背景から、医療従事者の間でも⽜乳を積極的に摂取してきた風潮への疑念は少なからず上がっている。
摂取奨励派
アレルギー体質であったり、乳糖を分解できない体質であったりする⼈は⽜乳の摂取を控えるべきであることは論を待たない。だが、⽇本では⻑らく⽜乳が健康に良い⾷品の代表のように扱われ、学校教育で「⽜乳に含まれるカルシウムは骨を作る」と給⾷に⽜乳を出したり、保健指導で骨折予防策として⽜乳の摂取を奨励したりしてきた。
⽜乳摂取に警鐘を鳴らす悪⽟論に対し、「科学的な根拠に基づかない」と真っ向から否定する意⾒も当然ある。骨粗鬆症財団は、ホームページに設置した⼀般向け「Q&Aコーナー」で、⽜乳摂取と骨粗鬆症の関連を指摘する⾔説について「現段階では、科学的なデータに基づかない意⾒」と退けている(骨粗鬆症財団ホームページ)。また、⽜乳を飲むとカルシウム濃度が急上昇し、腎臓結⽯を⼼配する質問には「通常の摂取量であれば腎臓結⽯の原因になり得ない」との回答を⽰し、むしろ摂取を控えることによるカルシウム不⾜の⽅が問題との⾒解を⽰している。
幼児期からデジ物への依存が進んでます。
⽶国⼩児科学会(AAP)は11⽉2⽇、都市部で低所得家庭の幼児ほぼ全員が携帯機器を利⽤しており、4歳までに⼤半の幼児が⾃分の携帯を所有しているという調査結果を紹介した。Pediatrics誌12⽉号オンライン版に掲載。
2013年の携帯メディア機器所有に関する研究では、所得による情報格差(デジタルディバイド︓Digital Divide)が浮き彫りになった。しかし、フィラデルフィアのマイノリティーの低所得層の親350⼈を調査した2014年後半の所有率を⾒ると、テレビが97%、タブレット83%、スマートフォン77%、ビデオ56%、コンピューター58%、インターネットアクセス59%と、急速に格差が縮まっている現状が浮き彫りになった。
⼩児に限ってみると、ゲームやビデオ鑑賞、アプリなどで携帯機器を毎⽇利⽤している1歳以下は44%で、2歳児になるとその割合は77%にも上昇することが判明。また、⼩児全体では97%が携帯機器を利⽤していた。⼩児の携帯機器所有率は、2歳までにテレビを上回り、4歳児では⾃分のテレビを所有している者は半数だったのに対し、⾃分の携帯機器については約4分の3が所有していることも明らかになった。
⼩児の携帯機器の利⽤が、認知、社会、感情の発達にどう影響するのかはほとんど知られていないため、多くの低年齢児が⾃分の携帯機器を所有している現状について、本研究著者らは危惧している。
スーパーウーマン症候群
よき妻、賢い⺟、孝⾏娘、そして模範的なワーキング・ウーマン…。何⼈分もの役割を⼀⾝に引き受けて、疲れ果ててはいませんか︖スーパーウーマン症候群の⼥性たちは、つねにオーバーワークの状態です。特に完璧主義で他⼈にものを頼むのが苦⼿な⼈は、何もかも⾃分で抱え込み、あげくの果てに⼼⾝に破綻をきたしてしまうのです。
以下の傾向のある⼈は注意しましょう︕
頼まれると、⾃分の予定より他⼈の仕事を優先させてしまう。
毎⽇働きづめで、⾃分の時間がとれず、休めない。病気以外の理由で休むことはよくないと思ってしまう。
何事も最後までやりとげないと気がすまない。細かいことに気をつかいすぎて疲れることが多い。目の前にある問題から解決しようとするため、問題が次々と出てきた場合、⼿を広げすぎて対処できなくなる。
仕事、夫婦関係、育児などすべてが完壁でないと、「⾃分はダメな⼈間だ」と思ってしまう。
罪の意識を感じやすい。
体調が悪くても、スケジュールがつまっていても、「ノー」と⾔えない。
他⼈に仕事を頼めない。ほかの⼈に仕事を任せると、⾃分の思いどおりにできあがっていないと感じる。
つねに家をきれいにしていないと気がすまず、こまごまとした仕事が目についてしまうため、家でもくつろげない。
仕事をしていても家庭が気になり、家でのスケジュールややるべきことをメモに書き留めておく。
夫が⾃分の考えに少しも気づいてくれないことにイライラしてしまう。
睡眠時間が短く、栄養が偏った⾷事でも気にならないなど、健康⾯に気をつかっている時間がない。
強迫性障害について
当院にも多くの強迫性障害の患者さんが治療のために通院されています。
強迫性障害とは、不安障害の⼀種であり、強迫観念と強迫⾏為(確認⾏為)という2つの症状で構成されます。観念とは、どうしてもこうあらねばならない、本当にやるべきことをやれていただろうかなどの考えが浮かんできてそれを振り払えなくなってしまうものです。このような強い観念が不安とともにわいてくるため、その不安を取り除くための何らかの儀式的⾏為を⾏わないといけなくなるのですが、これが強迫・確認⾏為です。非常に特徴的なのが、患者さんは⾃分の強迫性について「なぜこんなばかばかしいことをしてしまうのだろう」と不合理に感じ違和感をもっていることです。強迫性以外には⼈格や精神状態には異常はなく、部分的な障害を持ちながらもなんとか社会に適合している⽅が多いと感じます。しかし、このなんとかという部分が患者さんは⾟いわけですね。よくある症状を具体的にあげてみましょう。⾝体に何かばい菌がついている何度も⼿や⾝体を洗い直す、特定のものにさわれない、鍵や⽕の元が⼼配になり何度も確認する、時には出勤途中で不安になり何度も引き返してしまう⼈もいます。作成した⽂書に間違いがあると思って、通常以上に時間をかけて正確性をきそうとしてしまう、何か不吉なことが起こるように思えて、数歩ごとにふりかえったり靴紐を結び直したりと儀式的なことをせずにはいられない、などなど実に多彩な症状と悩みがついてまわります。これらの症状は、脳の帯状回という部位に異常があり、セロトニンという化学物質が不⾜することにより起こると推察されています。脳の機能異常ですから、やはりお薬による治療が第⼀とされます。SSRIという抗うつ薬を使って、不⾜したセロトニンを増やすことが最も有効ですが、反応があまり良くない時は、少量の別系統のお薬を少しだけ付加して反応性を⾼める⽅法もあります。強迫性障害は、以前は⼤変治りにくい病気でしたが、より効果が⾼く副作⽤の少ないお薬の登場で⽇常、社会⽣活にほぼ⽀障が出ない位に改善する⽅が⼤部分です。⼀定期間服薬をきちんと⾏えば、減薬、断薬も可能になる⽅もおられます。症状に思い当たるふしのある⽅は⼀度来院してみましょう。
うつ病の病前性格
うつ病の患者さんには、病前から特徴的な性格傾向が存在するとこがわかっていますし、⽇々臨床をやっているとなるほどと頷かせることと多く出会います。うつ病の治療は、抗うつ薬が主体ですが、このような性格特徴を正確に把握することで有効な精神療法が可能となります。
では分かりやすくリストアップしてみましょう。
1) 執着気質
物事や対⼈関係のささいなトラブルにとらわれ、融通性が乏しく、いつまでも嫌な感情をひきずってしまう性格です。
2) 過度の協調性
他⼈の評価が気になり、⾃⼰主張が苦⼿な性格です。常に他⼈の顔⾊ばかりを伺うのでとても疲れやすくなりますが、特に仕事などでミスをおかした時などに「⾃分のせいだ、⼈に迷惑をかけてしまう、申し訳ない」と⾃責的になってしまうことが多いです。また、明らかに相⼿が悪いのに、その⼈に意地悪なことを⾔われるともしかして⾃分にも非があるのではと勝⼿に考えてしまいます。
3) 強迫性
⾃分は絶対にこうあるべき、なぜ他⼈は⾃分の思う通り⾏動しないのだろうと考えて続けてしまいます。⾃分の理想なんてその通りに実現することはまず起こり得ませんし、ましてや他⼈が⾃分の考えた通りに⾏動してくれるはずがないので、このような考え⽅は必ず失望や怒りの感情を引き起こします。
4) 没⼊性
⾃分の体⼒、能⼒を過信しすぎ、⾃⼰モニタリングがうまくできず、ついついやり過ぎてしまう⼈達がいます。当然、過労や気⼒もすり減ってしまいますよね。
5) 否定的認知
1)から4)の傾向を持っていると、⼈間は、⾃⼰、周囲の環境、将来について否定的に考え出すようになります。否定的認知の3徴といいます。なにもやっても⾃分はダメ、周りが変わらないと⾃分も変われない、お先真っ暗、どうせやっても無駄に違いないと思い始めたら、うつ病にすでに⼀歩⾜を踏み込んでいるのかもしれません。
ご⾃分の性格、⾏動パターンをもう⼀度おさらいしてみましょう。
私の履歴書7
そんなわけで、⾼校時代は⺟校での思い出はあまりありません。⼀応野球部に所属しましたが、タバコの影響(!)もあったのか動くのが⼤儀となりショートからファーストに転向、準備運動のランニングも⼤嫌いでした。集団で、声出して、運動場を⾛り回る何てばかばかしいと思っていました。ただ、野球部の部室が校舎の裏側にあって、学校とは反対側を向いていて眺めがよかったんですね。友⼈は優等⽣ばかりだし、⼥の⼦の制服は可愛くないし(上下⿊のブレザーで⽩シャツだけなんですよ︕、今では許されないですよねえ)、昼休みは⼀⼈で部室に⾏って弁当を⾷べ、その後ゆったりと⼀服つけながら丘の上からの景⾊を睥睨し、夏⾍の声に⽿を傾け、下を⾛る東海道線の響きをゆったりと感じたりして幸せに過ごしていました。当然ながら成績が良いわけがありません。シンナーとタバコで
爆発しなかっただけよしとしなければなりません。特に物理が苦⼿で、単位からして全く理解できませんでした。下から数えて1/3位をいつも低迷していました。前回、中学時代の英語の先⽣の話を書きましたが、⾼校の時の英語の先⽣は⼤正デモクラシーの時代の総理⼤⾂、原敬(横浜の三溪園を作った⼈です)のお孫さんで、⼤変なお嬢様でした。とてもきれいで上品な⽅でしたが、私が予習していないのを⾒つけるとくいっとメガネを上げて、「松本さん、⽴ってらっしゃい」と叱られました。⾼校⽣にもなって教室で⽴たされるのかと呆れましたが、やはりそこは⼦供の時からのM癖が抜けておらず(以前ピアノの先⽣とのエピソードを書きましたよね)、わくわくぞくぞくしながら、みっともなく⽴っていました。それでも先⽣には可愛げがある⼦と映っていたようで、横浜市営バスの中からにっこりとほほ笑んで⼿を振っていただいたことをよく覚えております。実は、⺟⽅の祖⽗がメスの切れる外科医であり、⼦供の頃から往診鞄持ちでついて歩いていたことから、中学時代から医師になろうかなあと漠然と思っていたんです。乱れた⾼校⽣活を送りながらもその思いは変わることなく、進路指導の担任に話すと「ぜーたい無理だからあきらめろ」と何度も⾔われていました。今考えると、そりゃー当たり前だろと思えますけど、当時は幼児的な万能感でもあったのでしょうか、なんの根拠もなく、「そんなこと⾔うけど、そのうち⼊れるでしょ」なんて⼼の中で反論していたんです。本当、バカだったですね。でも皆さん、医学部なんて受験テクニックがあれば誰でも⼊れるわけで、本当に優秀な⼈は物理、数学をやっていたり、⼩説家や棋⼠にでもなっているわけですよ。私
がぐれていたのに医学部に⼊れたのを、「勉強もしないで医学部なんて、さぞかし頭がよかったんですね」なんて絶対に勘違いしないようにしてくださいね。医師資格なんて普通に勉強さえすれば取れるし、実際の仕事なんて真⾯目にやりさえすれば誰でもできますよ。頭良くなくて、無茶して失敗すると困るので、その保障が欲しい⼈は是非医者になってください。⼈のためになることは、確かにたくさんありますし、素質があればそこに喜びを⾒出すことはきっとできるでしょう。結局この⾼校は卒業式も⽋席して卒業(できました︕)、現役では数校の医学部にチャレンジして当然すべて⽟砕いたしました。