私の履歴書6

さて中学時代の成績なんですけど、これがなんと常に上位10位以内には⼊っておりました。以前に書いたH先⽣のおかげもあり、数学が得意でした。それと郷⼟史研究会のおかげで社会、歴史も得意になりました。⼤学卒業後、外国で10年以上にわたって⽣活していたおかげで、今でこそ英語には不⾃由しませんが、当時は苦⼿な⽅に⼊っていましたね。ただ、英語の先⽣(⼥性)が私のことを気に⼊ってくれて、他のクラスで「松本君は私の理想の男性です」なんてセクハラ発⾔をされていたので、その先⽣のことは⼤好きでした。男っていうのはセクハラをセクハラとは取らずに、かえって喜んでしまうところもあるんでしょうかね。もっともその当時、セクハラという⾔葉すら存在しなかったのですけど。おおらかな時代でした。勉強以外にも、なんと中学時代を通してスポーツ万能だったんですよ、皆さん、信じられないでしょう、私も同感です。野球はショートで4番、運動会では800mが得意、サッカーも部員以上にうまかったんですよ。校庭の端からから打ったホームランボールが、授業中の他のクラスの窓ガラスを直撃して⼤得意でありました。なので下級⽣、同級⽣をとわずに本当に⼥の⼦にはモテました、皆さん信じられないでしょう、私もです。しかーし、それに奢ることももなく、⼥⼦には⼀瞥もくれずに勉学と男⼦⽣徒とのガチンコ遊びに夢中でしたので、ますますモテました。⼀⼈と付き合えばそうはいきませんものね、そんな下⼼、うーんなかったともいえないかもですね。神奈川県は、皆さんもご存じのとおりの進学⾼だらけの県でしたから、もっともレベルの⾼い湘南⾼校にも⼊れたのではと思われましたが、少し安全圏ということで、横浜国⽴⼤学の付属⾼校になる予定であった県⽴光陵⾼校に進学いたしました。のちに付属⾼校になることが取りやめになり、⾼校の偏差値は急落しましたが、私が在学中は、東⼤10名、早慶合わせて100⼈以上、医学部も10名以上の進学率を誇っていました。と、そこまではよかったのですけど、友⼈も悪かったり家庭環境も影響したりしたのでしょうか、⾼校時代は完全にぐれてしまった⽣活を送りました。学⽣鞄はお湯で煮て、釣り糸で縛ってぺちゃんこに、教科書は学校に置きっぱなし、学⽣服は詰襟を⾼くし、丈を⻑くした「ヨウラン」(⽵の⼦族みたいなやつ)、喫煙は⾼校2年から、ついでに中学時代にプラモを作っていて⾃室に塗料⽤のシンナーが⼤量にあったので、ビニール袋にいれて吸っていました(アンパン、っていうやつです)。彼⼥は、同じ学校の⼥⼦はお⾼くとまっているので、やはりツッパリ系のM⾼校から選びまくりでした。相⼿も茶髪でスケバンスタイル、タイマンをはるときは必ず剃⼑を忍ばせているようなヤンキーねんちゃんが、気が置けなくて⼤好きでした。学校を素通りして、横浜駅のトイレで着替えてボーリングや映画によく⼀緒⾏きましたね。ナンパなんですけど、ツッパリ、楽しかったですよお。出席⽇数が⾜りず、毎年進学会議の常連でした。でも楽しかったですよお︕