すっかりご無沙汰いたしました。ようやくこれを再開する時間がとれました。といっても冬が大嫌いな私は、夏の間は遊び倒すことに決めているので、7月、8月の週末は全て外出三昧で時間を作ることも忘れていたというわけです。9月もまだまだ残暑が厳しいことを祈るばかりです(札幌では無理・・・)。さてSAMPの中井君を輩出した、ド田舎のボロ有名中学校、腰越中学に入学したわけですよね。自宅からは、丘を2回超えて30分くらい歩いて通っていました。それでも朝から鞄持ちゲームに興じたりしながらの通学でしたので、楽しい毎日ではありました。一学年はボロといっても一応人口密度の高い神奈川県のことですから、150名位であったかと記憶しています。最初の担任は、早稲田大学を卒業したばかりのO先生、大学では山岳部に所属されており、何かというと「森の熊さん」を歌いだす純な山男でしたね。どうしても物事を斜に構えて見る癖のあった私には、全く相性が悪いものと思っていたのですが、先生はそんな私にも真正面から向き合ってその純真さをぶつけてくるので、私は照れながらもそれを受け入れざるを得ないことになりました。O先生は、社会科、歴史の先生でしたので、考古学にも詳しく、場所柄が歴史のある鎌倉でもあったことから郷土史研究会を立ち上げられ、その第一期のメンバーに私も加わったわけです。 ちなみに最近、一つ違いの弟がO先生に会い、挨拶したところ、なんども「出か?いずるなのか?」と言われて閉口したそうです(弟は守といいます)。それだけ私のことを可愛がってくれていたのですね。根暗、文系と思われがちな名前の研究会ですが、そこは山男の先生がリーダーであったこともありほとんどが鎌倉中を歩き回るフィールドワークで、卒業までには鎌倉のガイドが務まるくらい神社仏閣、史跡や名物、鎌倉時代の切通し、武将の名前などを覚えるまでになりました。この知識は、後年女の子をデートを誘うのにたいそう役に立ちました。なにしろ、日帰りコース(もち休憩あり)、一泊コースなど瞬時に構築できてしまうのですから。中学に入ってから分かったことですけど、私が小学4年時に書いた江の島・鎌倉やその周辺の光景についての作文が、私に無断!(担任の独断!!)で「かまくら子供風土記」に掲載されていたりと、やはり郷土に対する愛着が強かったのだと思います。お寺にお願いして、古仏のスケッチをしたり、鎌倉時代のやぐらや古い墓の拓本をとったり、時には他人様の畑を勝手に掘り起こして縄文土器の破片や矢じりを見つけたりし、それらは皆、私の大切な宝物となりました。一部は神奈川県立博物館に今でも展示されています。古代といえば、この頃ホメロス抒情詩の中のイリアス戦記(ギリシャと今のトルコにあったトロイ古代国家間の争い)が大好きで、名だたる名将の名前や系譜をほとんど諳んじていました。アガメムノーン、デイオゲネス、アキレウス、ヘクトル、プリアモスなどなど、その出自に至るまで今でも覚えております。父親に反抗を始め、家庭が面白くなくなってきていた時期でもあり、一種の逃避であったのかもしれません。これから始まる壮絶な私の思春期を予想させる、無気味な(?)予兆であったのでしょう。